師岡一羽常成(もろおかいっぱつねなり) 戦国中期〜後期を生きた剣術家である。 常陸国江戸崎の生まれ。 塚原ト伝に新当流を学び、自流「一羽流」を立て、その剣名は天下に鳴り響いた。 40を過ぎたころ、故郷の江戸崎に道場を構えた。 門弟は30余名を数えたというが、その中に傑出した3人の弟子がいた。 岩間小熊 土子泥之助 根岸兎角 である。 剣の道に没頭、打ち込んでいた彼らだったが、一羽がらい病を患い、 しばらくすると3人のうちもっとも腕の立った兎角が、一羽の「剣術秘伝書」を持ち逐電してしまった。 これを「師匠の恩を仇で返す不忠義者」と憤った小熊と泥之助だったが、相談の上泥之助が道場を守ることになり、小熊は兎角を追って仇討ちの旅に出た。 しばらくのち、兎角は徳川家康入部間のない江戸で一羽流の道場を開き、そこは隆盛を極めていた。 噂を聞いた小熊は江戸の赴き、兎角に果し合いを申し出る。 この試合は江戸中の評判になり、徳川家康も見物に出た。 木剣を持って立ち合った二人だったが、間一髪のところで小熊が勝利する。 約束であった秘伝書を兎角から取り戻した小熊であったが、その秘伝書を開いてみると、なんとそれは白紙だった。 兎角を破ったことで一躍剣名を上げた小熊は、兎角の道場をそのまま引き受ける形になった。兎角は仕合の後、江戸を逐電して行方をくらましていた。 道場は隆盛を極め、得意の絶頂にあった小熊は、道場の門弟(かつての兎角の弟子)たちに図られ、殺されてしまう。 兎角は放浪の後、自流「微塵流」を立て江戸に道場を構えたのち、黒田家に仕官、名を信太朝勝と改め、筑前の地で天寿を全うした。 泥之助は常陸江戸崎の道場を、農耕生活の傍ら守りつづけ死んだ。その弟子には、著名な剣客が数名いる。 白紙の秘伝書の語りかけるものは、何であったろうか? 興味深い話である。 (このエッセイは池波正太郎「剣客群像」をもとにしたフィクションです。興味のあるかたは一読されたい。)
【2005/12/26 12:49】
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